旧榊原記念病院の解体に当たり、事業主である財団を代表して、ご挨拶申し上げます。
ただいま安全祈願祭が滞りなく行われ、安堵いたしました。ご関係の皆様及びご列席の皆様にこの場をお借りして篤く御礼申し上げます。
さて、この旧榊原記念病院は1977年に故榊原仟先生が、心臓病がまだ難病とされていた時代に、発展途上にあった我が国の心臓病治療の向上と心臓病に苦しむ患者さんの救命、治療法の発展、研究の深化、人材の育成に当たることを目的として、各方面からの浄財を募って建設された当時の最新の先端的設備を備えた総病床数152の病院でした。それ以来、2003年に現在の府中に病院が移転するまで26年間にわたり、財団、病院の本拠地でありました。その間、我が国において最高水準の心臓病診療を行う中核的病院として、常に多数の患者さんの手術や検査を行い、数えきれない患者さんの救命、治療に当たってまいりました。
当病院は世界的にも最高水準の先端的診療技術を持ち、また数多くの新技術を開発し発信し続けてまいりました。国内でも常に最大の症例の診療を行う中で生まれた医学的に重要な発見・知見も枚挙にいとまがありません。特に先天性心臓病の小児の手術や成人の冠動脈手術、弁膜症手術、大動脈の緊急手術、術後の集中管理、急性心筋梗塞のCCU管理などでは我が国の医療をリードする立場として、診療を行うなか、全国はもとより海外からも患者が集まり、また心臓病の救急診療の中心として新宿界隈はもとより都内、近県から多数の救急疾患の患者さんが搬送され、救命治療に当たってまいりました。まさに我が国の心臓病診療の最先端病院であり続けました。
また当院は、心臓病診療の技術の修練や研究のために数多くの医師や医療技術者が集まり、研鑽を積んでこられたことで有名な教育病院でもあります。その方々の多くは、その後全国の医療機関、研究機関、医育機関において、教授や院長、部長、あるいは学会におけるオピニオンリーダーとして、日本の心臓病診療・研究の中心として活躍されてこられたことは周知のことです。これらの活動を通じて新宿における榊原記念病院は、日本の心臓病診療、研究、教育のメッカとして歴史的な役割を果たしてきたと言って過言でありません。
その後さらに広い活動の場を求めて、細田瑳一前理事長のリーダーシップの元、2003年に病院は23区の中心であるこの新宿の地から東京の中心である府中に移転し、総病床数320床と倍増いたしましたが、榊原仟先生が掲げられた理念、病院の使命、培われた伝統は脈々と現在に至るまで私ども財団・病院で発展的に継承され続けています。この間、旧榊原記念病院は当財団の発祥の地として、私どもの心のふるさとであり続けただけでなく、地の利を生かして様々な公益活動の場として活用され続けてまいりました。多くの学会・協会や東京都CCUネットワークの事務本部が置かれ、学術・診療活動の支援の場としても利用されております。
このたび老朽化に伴い、解体し再開発の運びとなりましたが、榊原先生の理想や理念、これまでの歴史的役割、医師はじめ医療関係者のご活躍やその後の発展に思いをいたすと、誠に感慨深いものがあります。我が国の心臓病診療に尽力してこられた旧病院の関係者の方々に深い敬意を表したいと思います。また診療を受けてこられた多数の患者様の安寧とご多幸をお祈りいたします。一方、診療を求めて来院されながら不幸にしてお亡くなりになられた方も少なくありません。建物の解体に当たりこれらの方々の御霊に改めて謹んで哀悼の意を表し、心よりご冥福をお祈りいたします。
矢崎義雄現理事長のご尽力により、当地の再開発が実現することになりました。当建物は解体され、3年後には新しい建物として再出発いたします。榊原先生のご遺徳とこれまでの歴史を背景に、旧病院で活躍されてこられた先人の思いを受け止め、府中の病院と一体となって、今後も日本の循環器診療・研究の中心として、引き続きさらなる社会への貢献を担う役割を果たし続けることをお誓い申し上げます。
最後になりましたが、この度の再開発にあたってご尽力をいただいている、三菱地所株式会社様、また財団の職員の方々に深く感謝の念を表しますとともに、これから解体にあたられる株式会社竹中工務店様と現場で働かれる方々の、安全とご多幸を心よりお祈り申し上げます。
本日ご臨席を賜りました皆様に厚く御礼申し上げますとともに、ご健勝をご祈念いたします。
以上、事業主の公益財団法人日本心臓血圧研究振興会を代表してご挨拶とさせていただきます。
令和3年9月14日
公益財団法人日本心臓血圧研究振興会 専務理事
榊原記念病院 院長
磯部光章