-心臓病の子どもたちと出会って、私は大切なものを教わった
小児看護専門看護師の権守礼美です。
私の卒園アルバムを見返すと、自身の将来の夢には「かんごしさんになりたい」と書いてあります。小さいころに看護師になりたいと願っていた記憶は全くありませんが、1歳になる前に、腕に皮膚移植が必要な大きな火傷をして療養生活を余儀なくされたことが、幼かった私にそんな夢を抱かせたのかもしれません。
看護を学び始めてから、「子どもたち」に魅了され、そして障害を抱える子どもたちが人生を前向きに、家族とともに楽しくあれるよう過ごしていることを知りました。障害児の水泳にも携わる機会があり、小児専門病院で働くことを決めましたが、そこで出会ったのが心臓病の子どもたちです。
心臓病の子どもたちは、幾度となく検査や手術を受け、泣きながらも歯を食いしばり、頑張って様々なことを乗り越えていきます。子どもには見せまいと涙をこらえながらも笑顔をみせるご家族の姿にも、私は大切なものを教わりました。
私の経験からでしかありませんが、小児看護に携わるものとして大事にしていることを、みなさんにご紹介します。何か一つでも皆さんに参考になることがあれば、うれしいです。
-子どもたちのちからを信じる
これまで多くの子どもたちとご家族と過ごしてきましたが、「子どもたち(自分)のちからを信じ、希望を持ち続け、やれる限りのことを精一杯やる」「“できない”ではなく、“どうやったらできるか”を一緒に考える」ことで、子どもたちもご家族も得られるものは大きいように思います。
私の活動の一つとして、「全国フォンタンの会」(現在休止中。高橋先生ブログ 2019.8.27つぶやきでも紹介)があります。病院の枠を超えて志をともにする医師と看護師による、子どもたちとご家族を応援する会ですが、実は、私たち医療者が子どもたちやご家族から「ちから」をもらえる場でもあります。幼少期から知っている子どもたちが大学生・社会人となり、治療を受けつつも社会福祉士や看護師等、夢に向かって歩いている姿がとてもたくましく、逆に勇気をもらっています。
このページでは、先天性心疾患を持ち、悩みながらもあきらめずにがんばる先輩のメッセージをご紹介していますので、ぜひ読んでください。先輩の言葉から、ちからを信じることの大事さを知ることができると思います。
-仲間を作り、仲間を信頼する
子どもたちもご家族も、もちろん私たち医療者も苦しい時があります。そんな苦しさから抜け出すのは簡単ではありません。苦しさの中で踏ん張り、乗り越えるために大事なものは、「ご家族」や「仲間」以外にありません。苦しい時、一人じゃないことが大事です。ご家族や仲間を信頼し、頼りあい、苦しい時も一緒に歩んでいる人がいることを感じれることが、途切れない道を作っていくと思っています。
時には、医療者ではどうしても力になれない状況に直面し、「全国心臓病の子どもを守る会」等、病院外部の患者家族会をご紹介することもあります。心臓病の子どもたちとご家族ががんばっておられる今、医療者と患者家族が共に考え、社会を変えていくことも必要な時代です。
一つのきっかけとなればと考えたのが、病院内で定期的に開催している「キッズセミナー」です。他院で勤務していた時から続けている企画ですが、榊原記念病院でも「榊原キッズセミナー」として、一昨年から実施しています。今年はコロナのために残念ながら中止となりました。心臓病の子どもたちを支える「仲間」をもっと増やしたい、という想いも込めています。キッズセミナーに参加したお子さんの中には、医療者を目指すきっかけになった方もいらっしゃると聞いています。
-様々なことをポジティブに考えてみる
悲しい気持ち、責める気持ち、落ち込む気持ち・・。これは皆さんが抱える、あって当然の気持ちです。でもその気持ちを抱いた先に、どうするか、そこが大事だと思っています。
冒頭でお話ししましたが、私は1歳になる前に、腕に大きな火傷をしました。しかし、そのことで両親を恨んだこともありませんし、火傷があることになんら疑問も感じません。火傷の痕があるのが自分です。なので、腕は普通に露出しています。幼少期、友達に火傷の跡についていろいろ言われたこともありますし、思春期の頃は、おなかにある皮膚採取の大きな跡が嫌でたまりませんでした。でも、それでも自分にとって特別ではないものでしたし、逆にその傷を活かして心臓病の子どもたちや家族にアドバイスができる現在があります。
そんな自分でいられるのも、母のおかげだと思っています。母は「ごめんね」と私の火傷の傷をなでながらも、それを隠すことなく、水泳をやらせ、半袖を着せ、腕を露出することをなんら当たり前のこととしました。その母の育児のあり方が、私の今の小児看護につながっていると思います。
ご家族は、こどもが心臓病だとわかったとき、いろいろな感情を抱えることと思います。何か苦労をする人生になるのではないか、女の子だから手術の傷を気にしてしまうのではないか。それは親だからこそ、感じる思いです。だからこそ、子どもたち本人がどうしたいかを大事にしながら、さまざまなことを乗り越えていくことができるよう、子どもたちを支え、見守っていくことができればよいのではないかと思います。
成人になって社会でがんばっている患者さんたちがいつも教えてくれます。「ま、学校や職場でうまくいかないことはあるよね。そんな時、気持ちをぶつけるのは親しかいないよ。でもちょっとぶつけてみただけで、本当に親を責めたことはないから、聞き流して」「私の経験を、自分のマイノリティとして、私しかやれないことを私がやっていくだけだよ」と。